アジアの女性や子供たちを中心に支援活動を行っているWE21ジャパンひらつかの理事長を務める重田裕子さんにお話を伺いました。
WE21ジャパンひらつかさんは、寄付でいただいた衣服や食器、本や着物などを店頭で販売し、その収益をアジアの女性や子供たちへ一部地域を除いて支援金として送る活動をしています。取材日の10月はWE21ジャパンひらつかさんの設立26周年を迎え、店頭ではそれを記念してセールが行われていました。26年目を迎え、理事長の重田さんからこれまでの経験や思いなどをお聞きすることができました。ご覧ください。
平和な店内
重田さんとお会いしてすぐに、まずは店内を紹介していただきました。店内は入ってすぐに食器、入り口付近にと中央部分にはたくさんの衣服が並べられており、壁沿いには本やバッグ、置物が販売されています。店を奥に進むと着物をリメイクしたものが並べられていました。寄付されるものには、一定の基準があり、食器に関しては完全未使用のもので、次に使う人が心地よく使えるものを受け取られています。また、衣類に関しては迷彩柄や、柔道着、剣道着の受け取りはしていません。特に迷彩柄のものは戦争を意識させるものであることから受け取っていないそうで、WE21ジャパンひらつかの平和への思いを強く感じる事ができました。
邪魔しない手助け
重田さん:「アジアに住む女性たちや子供たちにモノは送りません。一部地域を除いてお金を届けます。」その理由は、ある時パキスタンで大きな地震が発生し、日本のたくさんの人たちが寒い現地に送ろうと、大量の毛布を集めて梱包し飛行機に載せ、カラチ空港からトラックの荷台いっぱいに積んで届けました。しかし、山の上で羊飼いをしている子供たち、その羊の毛で毛布を編む女性、毛布はたくさんの人たちの仕事がその過程を経て毛布が市場に出ているのです。ですから日本からの届けられた善意の毛布によって現地の毛布の作成から販売までの仕事を大勢の人びとから奪ってしまった。このように寄付が現地の経済や仕事のサイクルを壊してしまっては、意味がないと考えます。文化の邪魔・現地の人の邪魔にならないようにするために支援先にはお金を届けます。ただお金を届けるだけでなく、生活の助け・助言をしています。これが生計の邪魔をせず、手助けする方法と思っています。」
目に見える成長
重田さん:「支援が一番長いのはインドです。西ベンガル州の保育所に1ルピー(現地単位)のヒヨコを支援金で買いました。そのヒヨコがニワトリになり、やがて卵を産むようになりました。その卵をゆでたまごにして、村の子供たちのお昼ご飯に加えることで、タンパク質をとるようにしました。1年後に現地を訪れた際に卵を食べた子供たちにあって驚きました。1年前は髪の色が赤色だったのに、黒くなっていて、本来の髪の色になっていたのです。自分たちが続けた支援の成果を見ました。目に見える形で人の役に立つことができたのは、やはりうれしかったです。今は、コロナ禍で4年行けてないですけど、あの時よりも大きくなっただろうな。」
ここに行けば募金できる
重田さん:「2011年3月13日から東日本大震災の救援募金を始めました。その日に「あなた達なら信用できる」といい、募金をしてくれた男性がいました。お店は、この日に限らず、ずっと色々な募金活動を店頭で看板を掛けて行っていました。この“つづけて”いたことが、常にとりすぎていても、誰かに見てもらっていること。お客さんは、ここに来れば募金ができると思ってくださっていること、募金をする場所を探している人がいることがいいな、うれしいなと思いました。ウクライナ侵攻の募金ではわずか3週間くらいの募金期間で1万円札が8枚も入っていました。それだけ信頼していただけて、ごく当たり前に募金ができると思ってくださる人がいることが、募金を“つづけて”いいなと思う瞬間でした。」
重田さんのお話で心に残った言葉
重田さん:「お客さんに報告できることをやっています。インドの話もお客さんに伝えました。」「1998年以降、“つづける”、“つながる”で、平塚と支援先の人々がつながります。“つよくなる“はこの活動で市民の力が強くなっていくのです。」
取材を終えて
この記事はWE21ジャパンひらつかさんの3つの“つ”に焦点を当てて書かせていただきました。重田裕子さんのお話から、小さい事でも積み重ねがやがて大きな成果、見えるものになって表れるのだと感じることができました。
今回、お忙しい中お話をしていただいた重田裕子さん、そしてWE21ジャパンひらつかさんに感謝いたします。
作成日 令和6年11月 東海大学政治経済学部2年 片岡