結成30周年を迎えた「湘南座」を取材させていただきました。
「湘南座」旗揚げの経緯
人形浄瑠璃文楽では人形を操るのは“三人遣い”が主流ですが、「湘南座」は“一人遣い”の人形浄瑠璃一座です。
その発足を語るには、お二人の存在が欠かせません。
一人は、茅ヶ崎高校、高浜高校の文楽部を指導された、桐竹 智恵子氏。そして、「湘南座」結成に尽力された初代座長の平野 博氏です。
大正末期に大阪で考案された人形を一人で操る“一人遣い”は少女が操ることで「乙女文楽」として人気を博しました。一人遣いの人形浄瑠璃一座の中の一つに「桐竹一座」があり、昭和27年に拠点を茅ヶ崎に移して巡業などを行っていました。
桐竹 智恵子氏は「桐竹一座」の座長の娘さんであり、その後昭和34年に茅ヶ崎高校の文楽同好会を指導するようになり、更に、昭和47年には平塚の高浜高校の児童文化部の乙女文楽班を指導するようになりました。
ただ、文楽の習得が在校中だけで卒業後に縁遠くなるのはもったいないということで、当時、平塚市役所職員の平野 博氏が平成2年に両校の卒業生に呼びかけて一人遣い人形浄瑠璃「湘南座」を旗揚げし、初代座長として発展に貢献されました。
今回は、「湘南座」のみなさんにお話を伺いました。現在座員は9名です。6名の方が集まってくれました。
取材には、平塚市社会教育課の川端さん、栁川さんも同席してくれました。
宮川 利男座長 座長を務めて10年目。もっぱら裏方に専念。雪を降らす名人。
城田 雅江さん 28年目。高浜高校文楽部卒業生。
中村 恵子さん 28年目。高浜高校文楽部卒業生。
増田 江利子さん 平成8年から。人形遣いから現在は湘南座で唯一の太夫(語り)。
小川 道代さん 18年目。茅ヶ崎高校文楽部卒業生。
川崎 彩乃さん 15年目。高浜高校文楽部卒業生。
文楽をやろうとしたきっかけ
川崎さん:「文楽は全く知りませんでした。高浜高校に入って部活動の見学で知りました。人形を観たときに「これ、面白そう」だと思いました。民俗芸能という言葉にもめったに経験できないと思いました。「人形かっこいいだろうな」と思って入部したのがきっかけです。」
小川さん:「茅ヶ崎高校では吹奏楽部に入りたかったんですが、先生から文楽部に入ってくれないかと誘われて「伝統芸能を途切れさせてはいけないな」と思って文楽部に入ったのがきっかけです。一年生は私一人で先輩たちはパワフルでした。」
増田さん:「結成当初はボランティアで公演のお手伝いで入ったのですが、座員が少なくて人形を遣わせてくれて、それが面白くなって続けました。その後太夫(語り)をしています」。
城田さん:「高浜高校に入るまでは、文楽そのものも、文楽部があることも知りませんでした。私は児童文化部という人形劇と紙芝居のクラブに入ったのですが、当時はその人形劇を選んだ人だけに「文楽をやりませんか?」と誘いがありました。その時に猿回しがでてくる演目に魅せられ「やってみようかな」と思って入ったのがきっかけです。人前にでるのは苦手ですが前に人形がいるので隠れるからいいかなと思いました。」
中村さん:「祖父が厚木の三人遣いの人形浄瑠璃「林座」の座長でしたので、子どものころに三人遣いの芝居は観ていました。高浜高校に入った時に文楽部があるのを知らなかったので別のクラブに入りました。祖父から、「孫なんだから文楽部に入ってやってくれよ」と言われて、2年生の時から入りました。今は、私の娘もやっていて三代にわたり人形浄瑠璃を続けています。」
文楽の魅力は何ですか?
増田さん:「人形、語り、三味線の三位一体になって見せる芸術ですよね。大変ですが完成した時には素晴らしいものになると思います。」
川崎さん:「自分自身では成れない役をやれる」というのが魅力ですね。さらにそれを人形に活かすということに惹かれます。稽古を積んでその役になりきれたと感じた時に達成感はありますね。」
小川さん:「私も違う自分に成れるのが大きいですね。悔しいとか悲しいとか感情を上手く表現できた時は「やったあ~」と思います。楽しいですよ。」
やっていて苦労するところは?
増田さんは、現在は太夫(語り)ですが、人形も遣った経験もあるので、両方を経験したことで感じることはありますか?
増田さん:「人形を遣っている時に、太夫さんの語りが何時もと違う時があって、「あれ?」と思った事があったんですが、自分が語らなければならない立場になってみると、中々思い通りにいかないんです。
歌と違って語りは三味線の音にピッタリ合わせてはダメなんです。声が消されてしまうから。ずらさないといけないとか、高めの声で語らなければならないとか、三味線の後から語らなければいけないとか。お師匠さんからは「太夫がしっかり語らないと三味線は弾けません」と言われます。とても難しいです。」
城田さん:「失敗しても顔にだしてはいけないと言われます。あくまで人形が演じているわけですから、遣い手は表情をだしてはいけないんですね。」
中村さん:「そうですね。国立劇場などで文楽を観ることもありますが、上手な遣い手の芝居は人形に眼がいって遣い手が見えないですよ。」
増田さん:「人形と同じで語り手も演じてはいけないといわれましたね。気持ちを入れようとすると自分が動いてしまうので。語りも声だけで演じなければいけないんで苦労してます。」
中村さん:「女役は女らしい仕草、男役は力強さや立ち回りがなかなか難しく苦労しました。」
伝統芸能を保存・継承していくことについてどう思っていますか?
宮川座長:「伝統芸能は沢山の人が修練して積み上げてきたもので、地域で育てて繫いできた文化ですから、しっかり引き継いでいきたいです。個人的には伝統は伝統としてやっていきますがその時代にあった創作文楽もやってみたいという気持ちもあります。そのためには座員が増えて、太夫(語り)も育てなければなりませんけども。」
小川さん:「積み上げてきたものに自分をいれてはダメだと思います。教わったことを後輩に繋げられたら良いなと思います。」
川崎さん:「演じる背景はその時代の社会を映しているのでそれを後世に残していくことは大切なことだと思います。」
思い出に残る演目は何ですか?
城田さん:「湘南座に入って初めてやった『壺坂観音霊験記』ですね。高校の部活と違って師匠の指導も厳しくなったので一番思い出に残っています。」
中村さん:「私は『傾城恋飛脚』ですね。初めて女役で、綺麗な衣装で好きでした。
川崎さん:「『傾城阿波の鳴門』のお弓の役です。学生のころに2番目に覚えた演目です。最初が『三番叟』で男役だったので男の動きが抜けなくて怒られていました。最近になってようやく女役の動きが出来るようになったので思い出深い演目です。
小川さん:「高校の時に老人ホームで『傾城阿波の鳴門』のお鶴さんをやると、皆が泣いてくれて「良かったよ」と言ってくれたので好きです。それと『増補大江山 戻り橋』ですね。初めて子役以外だったので。」
増田さん:「語りで『壺坂観音霊験記』ですね。内の段と山の段を通して語り、お客様から「良かったよ」といわれたのが嬉しかったです。」
今後の夢
城田さん:「後輩に譲っていずれは裏方にまわって続けたいです。」
中村さん:「今は、座員が少なくて出来る演目が限られているので、座員が増えて登場人物が沢山の演目をやりたいです。『奥州安達原』なんてやりたいですね。」
川崎さん:「巡業をやりたいです。国内も海外でもやりたいです。(夢ですから)。一人遣いの人形浄瑠璃をもっと皆さんに知って貰いたいです。」
小川さん:「いろいろな演目の人形をやってみたいです。」
増田さん:「とにかく座員が増えてほしいです。そして後進に繋げたいです。」
宮川座長:「若い座員が増えて、座員の想いが表にでるような「湘南座」になればいいなと思います。」
【YouTubeリンク】
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✿演目「義経千本桜」✿
*****座員募集*****
湘南座では随時、座員を募集しています。ご興味がある方、稽古をご覧になりたい方、詳しくお知りになりたい方は、平塚市教育委員会社会教育課までお問合せください。お待ちしております。
社会教育課 0463-35-8124
ライターの独り言
平野 博氏の書かれた本の中に印象深い記述がありました。
「民俗芸能はその土地に根付いた郷土色豊かなものですから、自分たちの生まれ育ったところにこんな特色のあるものが代々伝えられていることを学ぶことは若い人達に将来何らかの形で生かされてくる。
例えば、外国に行ったとしても故郷はこんなだったという意識がでる。これはとても大事なことだ。」
生まれ育ったところに誇りに思えるものがあるのは、豊かに生きるエネルギーになりますね。
さらに、江戸末期に四之宮で始まった人形芝居は、村の若者の非行防止だったというのにも相通じるものがあるように思います。
奥深いお話を聴かせていただきました。湘南座のみなさんありがとうございました。
ライター:清水浩三