「神奈川県で映画やドラマの舞台やロケに使われる場所は?」と質問されて何処を思い浮かべますか?

箱根でしょうか。横浜も多いと思いますね。山下公園や大桟橋。鎌倉、江ノ島などもいいですね。神奈川県は都心から近いので便利ですよね。

物語の舞台になるのと、実際の撮影ロケに使われるのは違いがありますね。横浜を例に整理すると

・物語の舞台は横浜で、撮影ロケも横浜と場所が同じケース。今はなかなか難しいでしょう。

・物語の舞台が横浜だけど、撮影ロケは別な静岡県の伊豆半島のケース。けっこうありそうです。

・物語の舞台は横浜ではないけれど、撮影は横浜で行われるケース。これもよくあると思います。

そこで、平塚を舞台にした映画、ドラマはないかと探してみました。

今はネットが便利で、検索するといろいろな情報が手に入ります。見つけました。それも、巨匠黒澤明監督作品です。

「一番美しく」。まだ右から左に読んでいた時代です。(ポスターの画像はWikipediaより)

あらすじ

兵器に搭載される光学機器を生産している東亜光学平塚製作所では、戦時非常態勢により生産の倍増を計画発令する。男子工員は通常の2倍、女子工員は1.5倍という目標数値が出されるが、女子組長の渡辺ツルを筆頭とする女子工員たちは、男子の半分ではなく2/3を目標にしてくれと懇願、受け入れられる。奮発する女子たちだが目標達成は生易しくはなく、一時的に上昇した生産高は疲労や怪我、苛立ちから来る仲違いなどにより下降する。しかし、女子工員達の寮母や工場の上司たちの暖かい協力、そして種々の問題を試行錯誤しながら解決し、さらに結束を強めた彼女たちの懸命な努力は再び報われ始める。

映画レビューより

この映画が上映開始されたのが、1944年4月。黒澤明監督デビュ―作品の「姿三四郎」の次に手掛けた作品です。監督の35才の作品です。主人公が女性というのも黒澤作品では珍しいらしいです。

黒澤明監督の作品は、「用心棒」「七人の侍」「羅生門」など、リアリティーを重要視しているように感じます。

「七人の侍」などでは、村人を演じる役者は若い乙女の役者さんも、私も農家の生まれなもので、「本当にこんな人いたよ」と思わせるほど、汗まみれ、泥まみれで農作業を演じていました。

一番美しく」は、舞台は平塚ですが撮影は横浜市戸塚区にある日本光学工業株式会社(現在のNikon)の工場で撮影されたそうです。更に、監督は演じる女優さん20人あまりを、実際の工場の寮に1か月住まわせて実際の従業員と同じ仕事、生活をさせたそうです。当時は珍しい演出方法だったようです。

志村僑さん演じる所長のレンズ生産量倍増を指示する訓示の中に、「人格の向上なくして生産力の向上なし。」という言葉が印象的でした。戦争真っただ中にあって戦意高揚を狙ったものであることは間違いないでしょうが、その中に監督が目指した人間物語を感じました。日本のモノづくりの神髄を表す言葉です。

舞台設定は、東亜光学平塚製作所。航空用を主体にした軍事用光学レンズの製造工場です。何故東亜光学としたのか?1941年からの戦争を「大東亜戦争」と名付けられていたからでしょうか。

多分撮影は1943年ころだろうから戦争真っただ中です。何故舞台を平塚にしたのでしょうか?

平塚は国内有数の軍事工業都市だったからのように思います。

明治38年に海軍火薬廠(かやくしょう)が設立されました。国有地の平坦で広大な土地、豊かな水。港や鉄道で都心や横須賀の海軍基地にも近いなどの好条件があったようです。その後、火薬を核に研究所や部品供給の町工場が発達していき国内でも有数の軍事工業都市に発展していきました。

しかし、大戦の終盤には国内の空爆が激しさを増し、平塚も目標対象になりました。

そして、ついに1945年の7月16日の平塚大空襲では、市内全域が壊滅状態に陥りました。

八幡山公園の平和慰霊塔です。明治以降の戦争での戦没者や市民被害者を合祀されています。

平塚市博物館には所蔵の文献に、平塚大空襲を経験された方の生々しい証言をまとめた文献があります。

黒澤明監督作品の「一番美しく」のヒロインの名前と同じ名前が、「炎の証言」で語られていた方と同じ名前だったのには不思議な感じがしました。

博物館には沢山の平塚の歴史がわかる資料、展示、文献があります。是非一度ご覧ください。

ライター:清水浩三

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