いいものを、大切に活用して後世につなぐ
平塚の文化度は低くない
平塚市の文化資産への想い
「平塚市は文化施設が充実している。施設を利用する市民が増えて文化都市平塚を目指してほしい」
前市長の大蔵 律子さんは機会がある度にこの言葉をおっしゃいます。今回は大蔵 律子さんに平塚の文化施設への想いを伺いました。
平塚市美術館の歩み
平塚市に美術館建設が発起されたのは戦後まもなくでした。中心となったのは空襲からの復興の中展覧会を自主的に開いていた地域の作家たちでした。1960年代初めには彼らによる1作家1作品寄贈運動が始まり、学校、公民館、図書館の建設に続いて1976年に平塚市博物館が開館すると、そこに美術部門が設置されました。その後、生涯学習と美術館建設の全国的な動きと同じく、1986年に平塚市美術館基本構想、平塚市美術館建設基本計画を策定、その後建設工事、事前準備を開始し1991年3月に開館を迎えました。
大蔵さん
「私が市会議員のころ、噂で「相模川を越えると、民度・文化度が下がる」といわれていたそうです。平塚市民の運動があったからできた美術館です。美術館建設途中に、地方の新設の美術館を視察に行きました。そこは美術館はできたけれど展示する作品が無いとのことでした。平塚市はまだ建設途中にもかかわらず764点の作品が既にそろっていることを伝えると、驚かれました。けっして平塚市民の文化度は低くないですよ。」
開館以来、湘南地域の中央に位置する美術館として、メインテーマ<湘南の美術・光>とし、よい環境で国内外の優れた美術を人々の鑑賞に供する事で文化で市民の理解を深め、創造や学びの意欲を刺激することを大きな目的として各種事業を実践してきました。
大蔵さん
「平塚市美術館の企画力の高さはすごいと思います。市民ギャラリーも途切れず開催されていますし、着実に芸術文化に関わる市民の裾野は広がっていると思います。」
平成18年には、ブラティスラヴァ絵本原画展を招致した。
ブラティスラヴァ絵本原画展について
スロヴァキア共和国の首都であるブラティスラヴァで2年ごとに開催される「ブラティスラヴァ世界絵本原画展」で、1965年に創設され、1967年に第1回展が開催されました。のちに芸術性の高い作品や実験的でユニークな作品が集まる世界最大の絵本原画コンクールとして知られるようになりました。
この展覧会の主旨は児童書先進国の優秀なイラストレーターの紹介と隠れた才能の発掘を目指している。そして何よりも訪れる子どもたちのイベントである。
ブラティスラヴァ世界絵本原画展—-Wikipedia
この時に皇后陛下がご来館されました。大蔵さんは当時、市長を務めておられたのでその時の様子を伺いました。
平塚市美術館に招いた経緯
平塚市美術館も参画して、ブラティスラヴァ絵本原画展を日本に招致したいと呼びかけて平成18年に全国で開催されました。平塚市美術館も8月から9月にかけて開催しました。その時に美術館から皇室へご案内したのに対して、皇后陛下は絵本に非常に造詣が深く興味を持たれたことからご来館が実現しました。市のほうでは、そのような案内をされていることは知らず、ご来館が決定してから知らされたそうです。
私的なご訪問
公式な訪問ではなく、ごく私的なご訪問であった。侍従の女性と2名とスロバキアの大使夫妻が偶然ご一緒されました。
皇后様の装い
とてもシックなベージュ系のお洋服で、トレードマークのお帽子もありませんでした。私的なご訪問をよりかんじさせる装いでした。たまたま大蔵さんもベージュの洋服だったそうです。
沿道の市民にびっくり
私的なご来館だったので、あまり大げさなお出迎えや警備などはしませんでしたし、ご来館されることも市民には知らせてなかったのですが、当日は美術館前の沿道には市民のみなさんが大勢並んでおられて到着を見守っていました。ビックリしました。
他の来場者と一緒に観覧
特に美術館への来場規制も無かったので、他の来館者もおられました。展覧会場を歩くときに、我々はかなり距離を置いて随行したのですが、皇后さまから「ご一緒にどうぞ」と声をかけてくださいました。
館長室でお茶を
市役所職員の中で茶道をたしなむ女性5名が館長室でお茶をふるまいまして懇談し、また質問も受けました。おだやかな普通の一人の女性という印象でした。平成20年には、秋篠宮紀子妃殿下が、速水御舟展にご来館されています。
ブラティスラヴァ絵本原画展は2017年にも開催されました平塚市美術館の企画力の高さを物語るエピソードではないでしょうか。。
ブラティスラヴァ絵本原画展(平塚市美術館ホームページより)
小学生の遠足でみる、美術館の魅力
美術館の入り口前の広場は南側に面しており、お天気の良い日は温かく、芝生にシートを広げてお弁当を食べるのは最高に贅沢な時間だと思います。時々小学生が遠足で来館して展示室で作品を鑑賞した後、広場で昼食を頬張る姿はとても豊かな光景だと思います。
このような拠点があることを誇らしくおもいます。
是非、美術館を個人でも家族でも利用してほしいとおもいます。
八幡山の洋館の歩み
明治38年に、日本海軍とイギリスの会社とが平塚に建設した火薬工場のイギリス人技術者の食堂ホールとして洋館が建てられたのが始まりです。関東大震災や戦火を経て、再建が繰り返され1950年に横浜ゴム(株)に払い下げられ会議室、応接室として使用されてきました。2004年に平塚市が譲り受け重要無形文化財に指定され八幡山公園に移築され2009年に公開されました。出展元:ひらつか八幡山の洋館(旧横浜ゴム平塚製造所記念館)パンフレットより
八幡山の洋館の活用
大蔵さん
「私が市長の時に手掛けた一つです。平塚の文化遺産として譲り受けました。移築場所利用方法などについて公募市民による検討委員会を立ち上げて決めていきました。極力建築当時の部材を使うために時間も費用も膨大にかかりました。「八幡山の洋館」という名前も市民公募できまりました。このように市民の力もあってできた「八幡山の洋館」に遊びにくるだけでもいいですし、多くの市民の憩いの場として利用してほしいと思います。将校たちの社交場だったところでもあり当時の面影に浸りながら、ちょっぴり大人の気軽な社交場として利用できるような企画をしてみても面白いのではないでしょうか。」
美術館や八幡山の洋館についてお話を伺いましたが、平塚市にはまだまだ施設は沢山あります。博物館」、図書館などなど。公民館もそうです。
大蔵さん
「公民館も26館あります。平塚市民約26万人に対してこれだけの数があるのは全国でもめずらしいことです。公民館も是非フルに活用してほしい場所です。公民館は高齢者の利用は盛んですが、もっと若い世代にも利用してほしいものです。
“公民館”という名称が若者受けしないのかもしれません。若者による「愛称募集」してみてはどうでしょう。」
大蔵さん
「やりたいと思っていて私にはできなかったことがあります。中・高校生の触れ合いのたまり場 的なものです。公民館はじめ、市民活動センターなどの一部を使えて、多世代との交流もはかれる場ができたらすばらしいと思います。」
一部ではありますが平塚市の文化施設誕生のお話を聴いて、活用しなければ、活用してほしいと思いました。「いいものを、大切に使い後世につないでいく」という言葉は心に響きます。平塚市にはいいものがあるのですから。
ありがとうございました。
ライター 清水浩三