「話すことが出来る、聴いてくれる人が居る」場所が、一歩踏み出すスタート台
全国自死遺族総合支援センター(グリーフサポートリンク)
「日本はG7と言われる先進国の中で自殺者が多い」と言われています。また、現在の新型コロナ感染拡大の影響により、不安を感じた方からの相談件数が急増している報道もあります。身近な人や大切な人を亡くされた遺族の方の悲しみや苦しみは想像を絶します。
そんな遺族の方に、同じ体験をした人たちで気持ちをわかちあい、語り合う場が平塚市でも自死遺族の集い(わかちあいの会)と称して開催されていることを知り、遺族支援活動について取材させていただきました。お話中に重要なキーワードが登場し、日頃良かれと思って発している言葉が相手を苦しめていることに気づかされました。あなたも心当たりがあると思います。ご覧ください。
お話を伺ったのは、
グリーフサポートリンク(NPO法人全国自死遺族総合支援センター)代表の杉本 脩子(Naoko)様です。
グリーフ(grief)=悲しみ
杉本 様のプロフイール
東京都出身。
スイス・ジュネーブ音楽院卒業(ピアノ専攻)の後、国内外で室内楽で音楽活動。
1984年、夫の病死をきっかけに遺族支援活動に携わる。
2008年、NPO法人ライフリンク代表 清水康之氏、東京自殺防止センター創設者 西原由記子氏らと共に、NPO法人全国自死遺族総合支援センターを立ち上げ現在に至る。
「自死遺族の集い」の主旨は?
2006年に「自殺対策基本法」が制定されて、全国でも最初に平塚市が自殺対策の条例を作りました。でも実践するには至っていなかったと思います。今では市区町村まで自殺対策計画の基本計画を定めるのが義務付けられていますが、平塚市が条例を定めたころは白紙状態で、何から手をつけたら良いかわからない状態だったと思います。
その後、神奈川県と平塚市が共同で自死・自殺者遺族が安心して話し合ったり、聴いたりする場を作りたいというお話をいただきまして、私ども「NPO法人全国自死遺族総合支援センター」としても協力を申し入れました。
身近な人・大切な人を亡くされるということは、人生最大の苦しい出来事だと思います。また、誰にとっても避けられないし選ぶことはできません。残される側からすれば不条理でどうにもできません。誰も肩代わりしてあげられません。亡くなられた方と残された方の関係性は唯一無二のものだからです。
但し、残された方がその後歩む道のりを独りぼっちで歩くのと、傍に誰かが居るのとでは大きな違いがあります。
伴走者と申しますか、傍にいて一緒に話を聴いたり考えたり、時には一緒に泣いたり、わかちあいながら進んでいけたら、生きていく大きな支えになるのではないかと思いますし、更に同じ境遇の複数の方と話をする機会があることも大きな支えになるのではないかと思います。それが「自死遺族の集い」の主旨と考えています。
身近な人を亡くされた直後は、眠れない、食べることもできない、動悸が激しくなるといいます。でもそれは病気ではないのですが、放っておくと病気になってしまう危険性があります。それを防ぐためにもみんなでわかちあい、支えあいながら少しでも前に進んでいきやすい環境を創っていくのが「自死遺族の集い」の主旨です。
杉本さんが「自死遺族の集い」(わかち合いの会)を始めたきっかけは?
私も昭和59年に夫を病気で亡くしました。直後は一人ではどうしようもない状態でした。ある方から新聞記事を見せてもらったんです。それは、上智大学での〈死別体験者の「わかちあいの会」という「生と死を考えるセミナー」〉という記事でした。そこには「死別して1年くらいは、気持ちが揺れて何も手につかない、どうしようもない状態でもそれが当たり前のこと」という内容がありました。それを読んで集まりに行ってみようと参加しました。
最初の集まりの印象は?
寒い冬の夜の集まりで、大学構内は暗いし数人の方が涙を流しながらお話している中にいて
「ここは私のいる場所ではない。もう二度とこんな集まりには来たくない。」と正直なところ思いました。他の方の話を聴くのがとても辛かったです。
月日が経過していくと、周りの人達から「頑張りなさい。」「もう大丈夫よね、頑張れるよね。」のエールの連続でした。でも「頑張れる」状態じゃなかったんですよ…。「自分のことは誰も分ってくれない。」と感じました。その時に、「以前の集まりに参加された方は、どのようにしてこの苦しい時期を過ごされたのだろうか?」と、また集まりに参加してみようと思いました。
何度か参加しているうちに、集まる方たちにとても支えられていることに気づきました。まだまだ、グリーフ(悲しみ)サポートするグループが無い状態でしたので、何かお手伝いができないかと考え、少しずつ活動するようになりました。
活動に集まった方々は看護師の方が多かったですね。看護師さんは最後の看取りを経験しているので必要性を感じてくれたからだと思います。
大人もいれば子供もいる、いろいろな立場の方がいるのでしょうね。
「わかちあい」とはその人の100%の感情を素直に受け止めること。
死別対象者には、どのような亡くなり方をしたのか?どのくらい期間があったのか?関係性、性格まで様々です。
どなたかの話で、
親を亡くすのは過去を失くすこと
配偶者を亡くすのは現在を失くすこと
子どもを亡くすのは未来を失くすこと だとおっしゃっていました。
人は苦しい時には同種の人を求めるのは自然な感情です。
ただ、同種の方たちが集まると「悲しみ比べ」が始まる危険性もあります。
例えば配偶者を亡くされた方同志だと「あなたは、何十年も連れ添ったのでしょ?私はたったの数年だからとても辛い。」などと話されます。
これは聴いていてとても苦しいです。悲しみの量は比べることはできません。運営側としては広い視野で考えないといけないと思います。私たちはできるだけ違った立場の方たちと話ができるように心がけています。
高齢で亡くなられた方の遺族に「天寿を全うしたじゃない。」なんて世間ではよく言いますが、その言葉が相手を苦しめてしまったり、幼い子供を亡くされた方に、「まだ若いのだからまた頑張って次の子どもを授かるように。」ということも言ってしまいます。
安易な慰めはかえって傷を深めることになりかねず、まずはそのままの気持ちを受け止めるしかないと思うんですね。
活動していて良かったと思ったことは?
深い言葉に出会うことが、生きていく力になっていることです。
中学生の時に父親を自殺で亡くされた方のお話です。
とてもその方は苦しんだそうです。そのために「私は一生結婚なんてするもんか。まして子どもなんて持つものか。」と思ったそうです。父親がいなくなって残された家族がこんなにも苦しむのだから…。
でも、彼は結婚して子どもも授かりました。父親になって「子どもってこんなにも愛おしいものだとは思わなかった。こんな愛おしい子どもを残して逝った父はどんなにか無念で苦しかったことだろう。」と言われました。
今でも涙が出てきます。人は苦しみを経験しないと見えてこないものがあるようだと思うことがあります。
活動の中で得難い経験をしています。
活動していてつらかったことは?
いさかいが絶えなかった初期
集まるみなさんは「世界で一番苦しいのは自分だ。」と思っているわけです。初期のころはルールがはっきりしない中で「ありのままを話していい」という形だったので「悲しみ比べ」のいさかいが絶えませんでした。
「貴方なんて大したことないじゃないか、あなたに比べたら私は…。」
10年くらいは悩まされました。そこで活動を続けるうちに、約束事を話し合って決めました。
「わかちあいの会」の約束事
わかちあいの会にすら来られない方たちにはどうした対応をされていますか?
グループでの活動を望まない方もあります。いろいろな方法を沢山設けて、例えば、電話相談、メール、SNS、手紙相談などの情報を、自治体の自殺対策の一環として、広く市民に提供していただきたいと思います。
新型コロナ感染渦中では、支援センターに影響はありましたか?
日本での感染初期のころ、一人暮らしの遺族の方のお話ですが、「距離(ソーシャルディスタンス)をとらなければいけないと言われるけれど、心の距離が離れてしまうようで恐怖に感じる。」と言われたことがあります。その時は実感がなかったのですが、昨年の3月末ころからコロナの影響が何らかの形であって自殺された遺族の方からの電話で実感しました。
日本は何故自殺者が多いのでしょうか?
杉本さんの個人の見解として
「日本はみんなと同じでないといけない。」という意識が強いのではないかと思います。
以前に会った若者の話です。
彼は普通の家に育ち、困窮でもなく虐待もなく、どちらかと言えば恵まれた家庭で育ちました。でも、「落ちこぼれてはいけない。出すぎてはいけない、自分を主張しすぎて周りと協調できないことはいけない。」とずっと言われ続けていたそうです。
彼はそれを突き詰めていったら「自分は透明人間になるしかない。」と思ったそうです。そして「透明人間なら生きていてもいなくてもいいんじゃないか。」と考えたそうです。
びっくりしました。
彼の思っていることは今の若者の感じているプレッシャーではないでしょうか。「人と同じでいられなくなった時に、自分を認めることが出来ない」という想いに繋がっていくと思います。
親は良かれと思ってやっていることで放置や虐待ではないので、子どもの立場では尚更何も言えない状態に追い込んでいるんですよね。これも親ならやりがちなことだと思います。
「死ぬ気になったら、何でもできるじゃないか?」と安易に言ってしまいますよね。追い込まれている人は、言われれば言われるほど、責められれば責められるほど、どんどん自分を責める方向に行ってしまうんですよ。
その親も自分の親から同じように言われて育ったのではないでしょうか?
そうですよね。みんなと同じことをすることは良い面もあります。でも現在は良い面が表に出る場面が少ないので悪い面が表に出てしまうのかもしれませんね。
だから尚のこと「良いか悪いかを評価されるのではなく、ありのままを、自分を主語にして話せる場が必要だと思います。」
メディアの情報発信について感じるところはありますか?
昨年は自殺者が急増しました。この要因の一つには若い有名俳優、女優の自殺者の報道が影響していると厚生労働省も認めています。WHOの指針で報道のガイドラインが示されていますが、守られていないんです。
また、現在はSNSの力がすごいですね。99人の記者が守っても1人の記者が守らないと100人全員が守っていないような状態になってしまいます。怖いですね。
厚生労働省のWHOのガイドラインに基づいた自殺者報道の指針(厚生労働省のホームページより)
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/seikatsuhogo/jisatsu/who_tebiki.html
メディアの情報を観すぎると、何が真実かわからなくなってしまいます。
「人間の情報を受け取る能力は30分が限度」と言っていました。だから30分を超えないように心がけています。
「自死遺族の集い」の活動をされてきて、杉本さん自身が変わったことはありますか?
もともと私は自分のこと、特に感情を人前で話したくない人間でした。見栄っ張りで強がる性格でしたから…。
ところが夫の死後、本当に苦しかった時に「本音を話すとこんなにも楽になれるものなのか。」ということを初めて感じました。思い返せばそんな教育は受けてきませんでした。学校でも「頑張れる発言は歓迎される」けど「弱音を吐ける場」はなかったですし、言っても良いという雰囲気はありませんでした。
「生産性向上至上主義」で、生産性が向上しないものは排除されるという、負の遺産だと思うんですね。生産性向上は重要ですが、そうばっかり上手くいかない。失敗するし、挫折もする。生産性が上がらない時もあるんだと、同じ重さで受け止めないといけないと思いますが、20世紀は硬直していたと思いますね。それを現在の若い世代に背負わせていることに忸怩(じくじ)たる思いがあります。
今後の「自死遺族の集い」の課題は?
コロナ渦中において、「自死遺族の集い」もオンラインでの開催が活発になってきています。私は当初は触れ合いが感じられないオンラインには懐疑的でしたが、やってみてオンラインには外出しなくても良いし、遠方の方ともつながるなど、オンラインの良さがあるということを感じました。オフライン、オンライン双方の良さを生かして活動していくのが課題です。
先般神奈川県が個別相談の項目に「遺族」を入れて開催しました。
私もお手伝いさせていただいたのですが、グループでは話づらいし、電話でも話せない。直接話したい方が多くいるのではないかと感じました。行政の個別相談は各地にありますので、ぜひ遺族を対象とした相談事業も加えて欲しいと思います。
「誰も取り残されることがない」というのが目標です。
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自死自殺遺族の方と関わるときにはとても、言葉の表現に気遣いが感じられます。そこでいくつかのキーワードからその意味を掘り下げたいと思います。
キーワードから掘り下げる
1.偏見
「他人の不幸は蜜の味」という言葉があります。人間のエゴであり、弱さでもありますが、この感覚は人の心からはなくならないし、偏見もなくならないと思います。むしろ偏見に負けないようにしないといけないのではないでしょうか。
私の夫はガンで亡くなりましたが、当時は「業病(ごうびょう)」と言われて「何の祟りでそんな病気になったんだ。」と言われました。現在は誰も「業病」なんて言いませんよね。何故でしょう。それはガンのことが医学的、科学的に解明されて治療法が進み、がんを正しく理解するようになったからだと思います。客観的に正しい知識が持てれば偏見もかなり軽減ができると思います。
自殺も「弱い人間がするもんだ。」とか「身勝手だ。」「死ぬ気になったら何でもできるのに。」と言われますが、自殺を正しく理解していないからで、脳科学の発達でメカニズムが解明されつつありますし、各種の調査研究も進んで、生きることを阻害するような要因が重なった時に追い込まれてしまうことがある、それは誰にも起き得るという理解が浸透していけば自殺に対する偏見も軽減されてくると思います。
苦しい時でも「あの人はわかってくれる」という人がいるだけで軽減されると思います。抱え込むのではなく、誰かに話せれば楽になれると思います。
このようなことは、現在教育現場やセミナーなどで啓蒙されるようになりました。ある保健師さんのセミナーに参加した中学生が「今まで苦しい気持ちは、誰にも言えなかった、枕にぶつけるしかなかったが、聴いてくれる大人がいることに初めて気づいた。」と感想文に書かれたそうです。親にも限界がありますし、先生にも。今こそ家庭でもなく、学校でもない第3の居場所といいますか、苦しい気持ちを話せて、聴いてくれる人が居る場所が必要に思います。いじめにあっても別の居場所がある、逃げてもいいのだという場所があることを知っていれば、ずいぶん違うのではないでしょうか。
「わかちあいの会」は、1度行っても2度目は行きたくなければ行かなくても良いし、集まりで会う人もその場限りの自由さがあります。
2.出会い直し
私は亡くなった夫を、充分に理解し、サヨナラをいう時間も与えられて感謝して見送ったと臨終までは思っていました。
でも、しばらくして全く分かっていなかったことに気づきました。夫はピアニストで一周忌に演奏会のレコードを聴いたのですが、こんなに自分のことを表現していたんだ、と気づきました。また世間の荒波から私たち家族を守ってくれていたんだ、というのも実感しました。だからこれからは私が子どもたちを守っていこうと思いました。
生きている時にはわからなかったことが、亡くなってから気づくことがあると多くの方からも聴きます。
私の場合も、元気な間にもっと夫を理解できていたら、もっとよい夫婦になれたのにと痛恨の思いですが、だからこそ亡くなってから気づいたことを大切にしながら生きていかなければ申し訳ないと思うようになり、死別後に生き続ける支えになりました。
ですから、そのような気づきが遺された方のその後の生きる指針や力になってほしいと思います。それが出会い直しです。
3.「大切な人」→「身近な人」に変更
私たちは、以前は「大切な人を亡くした子どもと遺族の集まり」と表現していましたが、2018年から「身近な・・・」に変えました。
ある家族の子どもが自殺したんですね。ご家族はとても苦しみました。
ある時に弟さんが、「親も自分も苦しんだ。家族を苦しめて死んでいった兄を僕は許せない。怒りしかない。大切な人とは思えない。だから「大切な人を亡くした人たちの集まり」には参加する資格はない。参加できない。」と言われたんですね。驚きました。
私たちは、アメリカで同じ活動をされている方に相談しました。その方も「アメリカでも家庭内暴力(DV)などが増加して「大切な人を亡くした。」なんて言える状態ではなくなりました。だから「loved one」は使うのをやめました。」と言われました。
そこで、私たちも「大切な人」から「身近な人」に変更しました。
4.生きごこちの良い社会
私はこの言葉は大嫌いです。人生は苦しいこともたくさんあって、生きごこちなんていいわけないですよ。
でも、「生きてて良かったと思える社会」という言葉には共感します。
極端な例かもしれませんが、例えば、出産はとても苦しいです。生きごごちなんていいわけないですよ。でも産まれた瞬間の喜びは格別です。苦しい時があるから、その後の喜びが大きく感じられることもあるでしょう。
5.「わかちあう」 ということ
「自殺対策基本法」が制定された初期のころは、国の定める自殺対策大綱の自殺の定義に「自殺は防ぐことができる。」と書かれていました。私たちは「すべての自殺は防げない、その厳しい現実に向きあわなければいけない。」と主張しました。5年後に、「多くの自殺は防ぐことが出来る。」に変わりました。
自殺は、現代社会の大きな課題です。非常に複雑です。どうしてそばにいる家族が気づかなかったのかなど安易な言葉がかけられますが、そんな単純なことではありません。
喜びには3種類あるといいます。
1.受ける喜び 2.与える喜び 3.わかちあう慶び
同じお皿に盛られた料理を一緒に食べて、「美味しい」などと気持ちを共有すること。わかちあう喜びには本質的なものがあるのではないでしょうか。
以上
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冒頭でも触れましたが、何気ない言葉で人を傷つけて、苦しめていることに気づきました。でも、その言葉で人が勇気づけられていることにも再認識する機会でした。
ある方の言葉ですが、
身体は、食べたもので作られる
心は、 聴いた言葉で造られる
未来は、話した言葉で創られる
ありのままの気持ちを打ち明けることが出来、受け止めてくれる人が居る場所に、すごいエネルギーがあることを学びました。杉本 様、ありがとうございました。
文責:清水浩三