今日は、湘南NPOのメンバー、地域づくりサポーターズの津田さん、東海大学の学生2名と共に平塚市松ヶ丘公民館へ行ってきた。
渋田川桜まつりを運営する21渋田川プロムナードプラン推進協議会の岸会長さん、前会長の伊藤さん、公民館館長の小島さんにご出席いただき、活動のきっかけから現在にいたるまでの赤裸々なお話を伺った。
活動のきっかけは後程資料を作成する関係で省くが、ここまでに至るには
この地域の問題を何とかしたい、という住民(市民)の強い想い(理念)があったこと。
当時の自治会長、連合会長さんらの強いリーダーシップによって支えられてきたこと。
行政に頼っていてもダメ、行政は頼りにならないということ。
補助金あっての活動は継続しない(自立を阻む)。
など、裏付けともいえる数々のエピソードを交えながら話を聞かせていただいた。
そして、ヒト・モノ・カネ。
ヒトは地域に呼びかければ何とかなる、当時は連合自治会が大きな力を持っていたそうだ。
モノも、人がいればかき集めることができる。
重要なのはカネ。それも数人の知恵と勇気と覚悟で何とかなった、というより何とかしたそうだ。
要は本気度である。
現在、平塚市内のさまざまな地域づくりの活動を、メンバー及び地域づくりサポーターズの皆さん、東海大学梶田ゼミの学生さんらと協働で調査している。
その中で気づいたことは、まちの課題を自分事としてとらえ、無我夢中で取り組むうちに多くの人が巻き込まれていったこと、活動の重要性が地域の住民の共感を得られていること、何が何でもやりきるという強い信念によって継続されてきたこと。すなわち40年も前から「新しい公共」が実践されてきたということだ。市民の手による公共事業の走りとも言っても間違いではないだろう。
市民活動はなぜやるのか?そこに地域の課題があるからだ。
その課題を解決するには、まずはあふれるパワーと実行力だ。
調査を進めるに従い、平塚の市民活動が地域に始まり地域で広がってきたことが良くわかる。
特に川を中心にした環境保全活動が活発だった。
川の汚染が急速に広がっていった昭和30年〜40年頃の時代の流れともいえるだろう。
そして活動にかかわってきた人々のまちづくりへの思いと本気度は半端じゃない。
しかし、今はどうだろう。
伊藤さんがこう言っていた。
満ち足りた今の人には飢餓感がない。何とかしなければならないという緊迫感、緊張感もない。
誰かに何とかしてもらうことばかり考えている。
もしかしたら、市民活動も行政の支援制度が充実すればするほど依存体質になるのかもしれない。
団体は、本気で自発的で自立的な活動を目指しているだろうか。
社会を変えるんだというゆるぎない強い思いで活動をしているだろうか。
そう考えていたら、
何故か「私たちは市民活動団体です!」と声高に叫んでいる団体がかすんで見えてきた。