開山して、700年以上、鎌倉時代からの歴史を持つ、名刹、松雲山 要法寺(しょううんざん ようぼうじ)です。

詳しくは、ホームページ参照。https://youbouji.jp/

要法寺境内。蓮の鉢が置かれて7月中旬には見ごろを迎えます。

住職の守屋 宣成さん。

 

 少子高齢化が進み、「家のお墓をどうしようか?」と悩む実態を特集しているニュースを観て、「実際はどうなんだろう?」と興味がわきまして、今回初めてお寺に取材させていただきました。

 平塚市の歴史ある、「要法寺」の守屋 宣成(せんじょう)住職にお話を伺いました。私たちが知らない僧侶の生の声を聴くことができ、若くて、平塚青年会議所(以下JC)での活動など地域との関わり、現在は平塚市教育委員会の委員を務めています。また、東京オリンピック・パラリンピック2020ではひらつかリトアニア交流推進実行委員会のホストタウン部会長として尽力されました。そのうえで平塚の街づくりなどもお話しくださいました。ご覧ください。

 

守屋さんのプロフィール

守屋さん:「昭和55年の2月14日、バレンタインデイに生まれました。次の日がお釈迦様の亡くなった日、その次の日が日蓮聖人の生まれた日ということで「この子はお寺に縁が深い子だね」と言われました。

小学校は富士見小学校、中学は春日野中学校です。

14歳の時に得度(出家)するときに、家族会議に呼ばれて「将来。お寺コースか、また違うコースかどちらにするか?」の選択を迫られました。お寺コースに進む決意をして、高校は山梨県の身延山高等学校、大学は立正大学に進学しました。お寺で育ちましたので、「いずれはお寺をつぐのだろうな」という気持ちではありましたね。

大学3年の時に僧侶の資格を取得して、23歳から要法寺の副住職として務めました。

その間、JCの会員で13年間活動して、理事長も務めました。

先代(お父様)が亡くなったので、令和元年9月に第四十代住職に就任しました。」

 

住職を引き継いでの苦労

守屋さん:「先代の病気がわかってから亡くなるまで1年半くらいありました。お寺の行事は先代と一緒にやってきまして、そこで起こる問題や困ったことは先代に相談して判断していたわけです。今度は自分が決めないといけないということになるわけです。『この判断でよいのだろうか?』と最初はずいぶん悩みましたね。多分、経営者の方はみんなそういう境遇になるんでしょうけどね。

また、コロナ感染渦中の騒ぎになってしまいましたので、通常おこなってきた行事をやっていいのかどうかという判断もしなければならないという状況になってしまいました。決めるにあたっては寺族だけでは決められなく、檀家の役員の方々と相談しますが、役員の方はみなさん年上のかたですが好意的ですので上手くやらせていただいています。

コロナ禍においては住職として葬儀、法要はしていますが、お寺の行事がまともにできていない状況です。」

 

最近のお寺事情

 法要、葬儀の人のかかわり方が希薄。

 守屋さん「法要。葬儀に人を呼ばない傾向。以前は30人、50人が普通で、20人だと「少ないね」という感覚が、最近は10人で「今日は多いね」という感じですね。コロナ渦中では1人、2人ですから。少子で兄妹が少ない、且つ、親族での付き合いをしないという傾向なのでこれからはそういう風になっていくんだろうなと思います。お墓参りも家族で来られますが、親戚を呼んでという形はほとんどないですね。」

 

 墓終い

 守屋さん「子どもがいても、親の代で墓終いする傾向にあります。子どもに面倒をかけたくないという親が増えてきたなあという印象です。お子様が一人で一人娘の嫁ぎ先のお墓に入るという選択や、1家族それぞれのお墓ではなく、2家族や3家族で一つの墓にすることも増えています。」

 

 空き家問題ならぬ空き墓問題

 守屋さん:「途絶えてしまって、連絡もつかない。荒れ放題になるとお隣のお墓に迷惑がかかる。そうなるとお寺の方で見るしかなくなるのですが、10年くらいは管理して、それ以降は墓終いとします。お骨はまだあずかりますが、その後は「無縁」ということで無縁塔へ埋葬します。」

 

 辛かったこと

守屋さん「決まった休日がないんですよ。高校時代からなんですが、8月1日に帰されるんですが、8月3日~8月16日まではお盆で檀家まわりをするんですね。大学時代に僧侶の資格を取ると他のお寺の手伝いにいくんです。だから、休みがなくて、周りが遊んでいるのがうらやましかったですね。お寺に生まれた宿命でしょうね。」

 

僧侶の修行について

 お経について

守屋さん「高校に入学すると、お経の読み方、所作などをしこまれます。1か月くらいみっちり教え込まれるんですね。私はそれで身に付きました。実は、親からも教えられましたが全く身に付かなかったですね。

それだけ、必死にさせられましたから。」

 

 学生時代

守屋さん:「身延山高校は、1学年が30人程度、9割はお寺の関係者です。特殊な高校で普通の教科の授業もあります。部活はないですね。日蓮上人に給仕するのが第一だというのが方針で、学問第一ではないんですよ。私は、宿坊に下宿して学校に通っていたので、宿泊のお客様へのお世話などもありました。高校生時代はお寺のことばかりしてました。大学の方が学生らしい生活をしていましたね。

親も『お寺のことばかりでなく、普通の暮らしも知っておいた方がよいだろう』ということで寛容でした。」

 

 極限の「日蓮宗100日荒行」

日蓮宗では11月1日から2月10日までの100日間の行である「日蓮宗大荒行堂」が行われます。朝2時半に起床、日に7回水行(最後が23時)。日に朝と夕の2回の食事のみ、水行の間は読経。写経をひたすら繰り返す。

 

守屋さん「私は今までに2回やりました。死んだ時のために戒名を提出して、僧侶の白い死装束で入るんです。

悪いものには負けない。精神的に追い込んで、精神修行ともいえます。またお経を沢山あげて自分の法力をあげていくという修行でもあります。最初の1週間くらいは、我々は「頭に輪っかがはまる」と言ってましたが頭が痛くなってくるんですよ。寝不足で。暫くすると身体が順応して慣れてくるんですけどね。」

100日荒行の装束

厳しい荒行を経験して日常に戻ると、精神的に強くなったという感じはしましたか?

守屋さん「ありましたね。でも逆の考えももっているんですよ。確かに荒行はつらいですが悩みがないんですよ。一日の修行の日課が決められていて、それをひたすら繰り返していく、そこには悩まなくていいんですよ。荒行を終えて最初につらかったのは悩むということでした。

会社に行けば、「あれはどうしよう?」「これはどうしたらいいんだ?」と悩むことがあるじゃないですか。生きるということは悩むことでもあります。だから、荒行の方が楽なんじゃないかと思いました」

 

 JCでの活動の意義

守屋さん:「お寺で育つことで世間知らずになってほしくないのと、責任感を持たせるためにJCに入会させたと晩年になって聴きました。確かにJCでは言ったことはやらなければいけないですし。会議、準備運営を経験して責任感も醸成されますし、また地域で起こっている課題、問題などの情報量が増えて、客観的にお寺というものを観ることが出来るということは、これからのお寺を運営していくためには貴重な経験だと思いました。」

 

 戒名の付け方で心がけていること

守屋さん:「住職になって戒名を考えなければならないんですが、子どもが産まれた時に名前を考える時と同じで、『こんな人間になってほしい』という気持ちで選ぶじゃないですか、戒名もそれに近いものがあって戒名をみると『亡くなられた方の人柄が解る』ような戒名をつけられたらと思って考えます。

故人の家族には『私はこう考えたんですけどいかがですか?』とお聞きし、時には、『こうしてください』と言われることもあります。でもそれは亡くなられた方のことに想いがある証拠ですし、戒名はそのあと永く残るわけですから家族の皆さんと一緒に考えることは良いことだと思います。

葬儀や法要の時の法話の時には戒名のことや、お盆にご自宅へ伺った時の会話など、故人の人柄をお話しするようにしています。」

 

 守屋様のお寺観は?

守屋さん:「先代は『とにかく、寺に人が来てもらいたい』と良く言われました。蓮の花を始めたのもその一つですが、お彼岸の中日にお祭りをやっているんですね。今は、コロナでできてませんが。お蕎麦だしたり、売店だしたり、福引抽選会もやりましたね。『寺と檀家を近い関係にすること』が先代からの教えですね。

七福神の御朱印も、観光協会からの勧めでしたが、先代は『こういうご時世に七福神なんて縁起がいいから是非やらせてもらおう』と言ってましたから、私も『地域にあるお寺』であり続けたいと考えています。この夏には『プログラミング体験教室』もやりますが、お寺に来る機会をどう創るかということですよね。何故かというと、これからは災害が起こった時のことも考えないといけないので、何かあった時にお寺がどう機能するかというのは重要だと考えています。

本堂が一番強いんですよ。井戸も汲み上げれば使えるので発電機を準備しています。

今のお寺としてやるべきことと、昔からの考え方と新しい時代に合わせた考え方とのバランスを保つことにとても迷いますね。」

 

 これからのお寺はどうなっていくんでしょう?

守屋さん:「檀家さんは減少していくだろうなと思いますが、檀家さんとの繋がりが大前提ではありますが、そのほかの方たちとの関係をどう作っていくのかがこれから重要だと思っています。『お寺と檀家』『お寺と地域』、お寺の資源を使って、檀家さん、地域の人たちをどのように巻き込んで、次世代へとつなげていくかを考えていくことが重要だと思っています。

大きなことはできませんが、プログラミング教室も、蓮の花も、七夕飾りも御朱印も、興味をもって寺に来てもらえたら理念に合致するかなと考えています。」

 

 良い教育環境のところに人は集まる

守屋さん:「平塚は平坦で何でもある住みやすい街であると思います。でも特徴が無い、平塚の街は人口が減っていってしまい、「通り過ぎていく街」になってしまいます。何か手を打たないといけないんですが。先ずは次世代の子どもたちに繋げていくための今出来ることを行動していくことだと思います。プログラミング教室も新学習指導要領の中にプログラミング的教育が加わりましたし、子どもたちが住みやすい、勉強や人間力を身に着ける教育環境のところに人は集まってくると思うんですよね。そういう環境整備が必要であると思います。お寺としても「平塚」という地名の元になった「平塚の塚」がありますし、その塚に眠っている平 真砂子姫の遺品も預かっていますし『何で平塚というのか?』とかを発信していけたらと思います。」

 

 ゾーンで考える街づくり

 守屋さん:「駅前は、商業、北部は農業、東部は工業と特徴はありますが、地域性を活かした大胆なまちづくりが必要であると思っています。『何でもある平塚』は良いところでもあるけれど、特徴がないというのも弱点ではあるのかなと思います。ターゲットを絞ったまちづくりが必要だと感じています。簡単にはいかないとは思いますが、大胆な変革を期待したいです。」

 今後の夢

守屋さん:「お寺のことで言えば、鎌倉時代から続いているこの寺を次の代につなげていくことが、私の責任です。ハード面では、具体的には山門の建替えですね。改修を繰り返してきたのですが、耐震に問題で、危険性を指摘されていますので、なんとか良い形で進めていきたいと思っています。ソフト面は事業を通じて『地域にあるお寺』を繋げたいですが、先代からも『これをやって』というのはなかったので、次の住職には『自分で考えて悩みながらやって』という感じですね。

個人的には、お寺だけが取り残されてもまずいし、先走ってもいけないと思っています。檀家さんや地域と歩調をあわせていくことが重要だと思っています。昔、先代住職が『世の中で起こった問題が数年後にはお寺の大きな問題へとつながる』と言われていますからそのためには、自分自身が街の人たちと関わりながら、その感覚を磨いておかないといけないと思っています。」

 

ライターの独り言

最近のお寺事情を興味本位でお聴きしたいと、申し込んだ取材でしたが、僧侶の修行のことや、地域でのお寺の存在意義、平塚のことなど、守屋さんの経験から滲み出た率直なお話がとても勉強になりました。

本日は、ありがとうございました。

文責 清水浩三

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