「心に染みる名言集」その1で、「名前を呼ばれたら“はい”と返事をする」という言葉を寄稿しました。中学2年生の頃の担任の先生の言葉です。その当時の思い出を、ほんの少し振り返ってみます

富士山を背景に田んぼが一面に広がり、春は菜の花と蓮華の花が咲き、秋には実りの稲穂がたれる大地を望む高台に中学校があった。

ムチを持った先生は(ムチは机をたたいたが子どもをたたくことはなかった)、都会から来た新任の若い男性教師。片や、自然いっぱいのところで育った子供たち。放課後?は裏山のひょうたん山(前方後円墳)、尼の泣き水(1200年前 国分寺・尼寺があり尼僧は、尼寺の明かりで魚が捕れなった漁師のために尼寺に火をつけ燃やしその罪により生き埋めになった。その尼僧の涙が湧き水になっている)にのぼり駆け回って遊んでいた。受験に対する意識もゆるい時代だった。

先月、同窓会やハイキングに一緒に行動していた仲間が亡くなった。今の若い人に生き活きと生きてほしいと思う。

厚見利子

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ノスタルジック メモリー

厚見さんの思い出話にある“ひょうたん山”や“尼の泣き水”とはどんなところなのか。実際に現地を訪ねてみました。

舞台は、神奈川県海老名市国分寺。海老名市は再開発で一変してしまいましたが、開発前の今から50年も前のお話しです。

国分寺という名前の通り、奈良時代 8世紀に聖武天皇がここに国分寺と国分尼寺を建立しました。国分寺には七重の塔があったそうです。住所表記の国分寺当たりの道路のマンホールに、七重の塔が描かれていました。

海老名市は歴史ある街で、名のある豪族たちの墓(古墳)が多くあります。そこが小高い山になっていて、子どもたちの遊び場となっていたようです。現在は、住宅が建ち並びましたが少し面影を残しています。

厚見さんたちが放課後遊んだ“ひょうたん山”は、「瓢箪塚古墳」として現在は“ひさご塚公園”となっています。

ひょうたん山の頂上です。もともと高台にあるので眺めはいいです。周りに樹木がありますが昔は眼下に一面の田んぼが広がっていたことでしょう。

今では、ビルや住宅街が広がっています。

厚見さん、懐かしい思い出話をありがとうございました。

清水浩三

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