4月2日~8日は「発達障害啓発週間」で、4月2日は「自閉症のことを知ろう」と国連が定めた「世界自閉症啓発デー(World Autism Awareness Day)です。その日は癒し・希望・平穏を表す「青」色をシンボルカラーにしたイベントやライトアップがされるようになりました。

 平塚市でも駅南口の噴水広場が2日から8日までブルーにライトアップされました。

 「自閉症のある方はコミュニケーションに困難を抱え、空気を読まないなど大多数の方から見ると違っているかもしれません。でも見方によってはとても面白い魅力ある人たちです。その見方こそが自閉症の方を思いやる想像力です。特別な人たちではないのです。」なんて私が偉そうに書きますが実は受け売りです。

 今回は、その受け売り元の、神奈川県自閉症協会 会長の雨宮 恵子(あめみや けいこ)さんにお話をうかがいました。母親として、会長として活動されてきた雨宮さんならではの自閉症児・者に対する見方は必見です。

雨宮 恵子さん

日本自閉症協会 ホームページリンク http://www.autism.or.jp/

 全国で「自閉症児・者の親の会」が結成され、全国組織として1968年(昭和43年)に日本自閉症協会として発足。略称「やまびこ会」(自閉症は“オウム返し”で相手が話した言葉を言い返す行動から)と呼ばれている。

 会員は約10,000人。全国都道府県にあり、神奈川県は神奈川県自閉症協会のもとに平塚地区親の会を含め11の親の会がある。平塚地区親の会は1987年(昭和62年)に発足。

神奈川県自閉症協会(KAS) ホームページリンク http://www.kas-yamabiko.jpn.org/

神奈川県自閉症協会 会長  雨宮 恵子さん

平塚地区親の会「平塚やまびこ会」代表  雨宮 恵子さん

平塚地区親の会「平塚やまびこ会」会長  高萩 美穂さん

現在の「平塚やまびこ会」会員  18名

雨宮さんのプロフイール

雨宮さん:「埼玉県熊谷市出身。東京学芸大学卒業。なのですが、ピアノが好きで、国語好きで、ものを書く人になりたかったんです。それで、ピアノの先生に「学芸大学なら国語も音楽もできるよ」と勧められて進学しました。教員養成の大学なのですが正直先生には向かないと思っていました。けれど、教育実習で子どもたちが可愛くて、結局教員の道に進むことになりました。教員は6年。結婚を機に退職して主人の勤務もあり以降平塚に住んでいます。」

 

長男の出産

雨宮さん:「長女が産まれて、二年後に長男を産みました。長男は小さく産まれて、その日に産院から「ご主人を呼んでください」と言われて「何か違うな」と感じました。他の子はお母さんの枕元にくるのに、私の子は小児科の病棟にいってしまいました。

主人が小学校の先生で学校にも障がい児童がいたり、自宅が湘南養護学校の近くで障がいのある児童を見ていたりしたので「もし障がいのある子が産まれても、大事に育てようね」とは二人で話していたので、障がいの可能性ありと言われショックというより「こういうこともあるんだ」と厳かな気持ちになりました。主人は「ラッキーな所に家を建てたな、湘南養護学校の給食は美味しいんだ」なんて言っていました。」

 

長男出産の夜に母子手帳に認めた想い

雨宮さん:「心の準備があったのか泣いたり一切なかったですね。生まれた夜に母子手帳に「どんなことがあっても大事に育てよう。」「名前に“宝”という字をつけたいね」と書きました。結局は長男の名前は坂本竜馬の“竜馬”になったんですけどね。気持ちは大事な宝物です。小学校に行く前までは「自分の子は、他の子と違うんだな」と思いましたね。」

平塚駅南口のブルーライトアップされた噴水前にて。左が雨宮さん、右がご長男の竜馬さん。

3人目を産む決断

雨宮さん:「長男が1歳になって、障がいがあるのが少しずつわかってきたころに、「成長して大人になった時に、親はいなくなるし、姉一人で支えるのはつらいな」と思ったんです。そこで3人目を産もうと決意しました。もともと、子供は3人欲しいと思っていました。主人も私も3人兄弟でしたから。」

 

「やまびこ会」との出会い

雨宮さん:「3歳児健診で明確に障がいがあるというのがわかって、療育に通いました。自閉症には音楽療法が良いというので通った音楽療法の先生が「親の会に入らないの?会には、すごく強くたくましい先輩がたくさんいるよ」と言ってくれて、私も調べました。

私が通っていた市の療育施設では、まだ3歳だと「発育が少し遅れているだけかもしれない」という意識が強くて「親の会」の勧めもないし、障害者手帳も「まだ3歳なんだから」という感覚なんです。

七沢で障がいのある親子がお泊りで療育を受けるコースがあって参加したんです。他の地域から来られた方たちは同じ幼児なのに障害者手帳を持ってるし、色々なことを知っているんです。先生からも「自閉症のことを勉強した方が良い」と言われ、帰ってすぐに「やまびこ会」に入りました。今から20年前です。」

 

枯れるまで泣き続けた後に・・・・。

雨宮さん:「七沢で先生から「お子さんは一生、みんなと同じようにはなりません」と宣告されたんです。

泣きました。その間に「やまびこ会」に入ることを決意しましたし、友達にも打ち明けて友達も泣いてくれました。「信じたくない」という気持ちはなかったです。「この子はみんなと同じ道は進めないんだな。公園でみんなと遊べないし、ランンドセル背負って一緒に学校にいけない人生を歩むのが悲しかったです。

涙が枯れるまで泣きましたが、最後には「泣いていても始まらない」「前へ進むしかない」と思ったんです。」

 

自主的に開いた報告会

雨宮さん:「七沢から帰ってきて、通っていた市の療育施設での担当者に「障害者手帳があるんですね」と訊いたら「障がいを認めるのはデリケートなことなので親の方にはなかなか言えない」と言われました。そこで同じ立場の私からなら言えると思って、自主的に「七沢の話を聴く会」という報告会を開いたんです。」

 

報告会の反応は?

雨宮さん:「一緒に療育施設に通っている親や以前通っていた方などが集まりましたが、中には全く親の会とかと関わりのない方もいて「辛い気持ちを話す機会もなくて悩んでいた」と泣き出す方もいて、同じ仲間で集まることは大事だと思いました。自主的な報告会は2回ほどやりました。やまびこ会に入ってからは会での学習会や勉強会が開かれるのでそちらにシフトしていきました。」

 

自分から報告会をやるという、他の人に分け与えてあげるという気持ちはどこから生まれたものでしょう?

雨宮さん:「七沢でいろいろなことを聴いたので伝えたいんです。良いことを聴いたら教えたいです。大学で寮生活をしまして、寮生活する学生は豊かな学生はいないんですね。助け合ってましたし、「先輩から受けた恩は次の代に返してね」というのが受け継がれていました。親からも、学校の登下校の時には、「地域の方にお世話になっているのだから知らない人にも挨拶は必ずしなさい」とよく言われました。

新聞社の入社試験を受けたときに、面接官に「あなたは、どんなところに行っても面白い人生が送れますよ」と言われました。落ちたんですけど。」

 

会の理念に「想像力・優しさ・ゆとりある社会の実現を目指しています。」ここで「想像力」というキーワードを入れた想いとは?

雨宮さん:「私たちは、人形劇などで「自閉症を正しく理解」してもらう啓発活動をしています。自閉症の方は、変わらなくて良い、そのまま、ありのままでいいから、周りの方が想像力を働かせて「今、こういうことで困ってんのかな」とか「今、こういう気持ちなのかな」とか少数派の自閉症者を近づけるのではなく、多数派の私たちが想像力を働かせて「自閉症者の気持ちを理解しようと」歩み寄ってくれれば円滑になると思っています。

出産は大変なことです。障がい者をいじめたりする方は、五体満足で健常なのが当たり前ではないという発想がないのだと思います。また、これからも健常でいるものだと思っているのではないでしょうか。一寸先に何が起こるかわからないし、誰もがちょっとしたことで不自由な生活に陥ることがあるということに想いを巡らせてほしい。障がいのある方が特別な人ではないのだということをわかってほしいです。」

 

「やまびこ会」に入ったからこそ学べたこと

雨宮さん:「一人で本やネットで勉強しても狭い考えしか得られません。やはりいろいろな人、仲間の考え方にふれることで得るものは一杯あるので、集まって他の方の意見を聴くというのは重要ですね。

「やまびこ会」の先輩から「自分の子どものことばかりやってても社会はよくならないわよ。」と言われているんですね。最初のころは自分の子どものことでいっぱいいっぱいでしたけど、そこを乗り越えると社会全体が見えてくると先輩が言っています。刺激になりました。」

 

雨宮さんにとって自閉症児・者は何ですか?

雨宮さん:「生真面目な正直者」だと思います。十人十色ではありますが、空気を読まず、忖度もしない。太っている人に「あなた太ってますね」と言ってしまうとか。だから社会生活でトラブルになって、いじめられたり、解雇されたりなどしてしまうんです。だからまわりの方が、想像して理解してほしいのです。理解すると「変わってて面白い奴」と思われることも多いです。大多数の方は、本音と建前で話をしますが、時にはそれがもどかしい時もありますけど、おかまいなしですから。見ようによっては潔くて愛すべき存在ですよ。障がいがあるから純粋だとは思いません。美化しませんが、正直者だとは言えます。」

 

活動していて、苦労したこと、嬉しかったこと。

雨宮さん:「大変なのは会長になってからですが、忙しいことですね。会報とか資料が沢山くるので家が片付きません。嬉しいというか勉強になるのは、県や全国レベルになると、「これは国に提言しよう」とか、「ここを頑張ろう」とか使命感の強い方が集まるので刺激になりますし、仲間がいるというのは心強いです。

内閣府や神奈川県議会に行って研究調査したことを堂々と説明する上の世代の方を見ると勉強になるし、皆の意見が社会を変えていくんだというのが解りましたね。そんな姿を見ていますが、平塚の会では「頑張りすぎないでやっていこうね」と会員には言っています。頑張りすぎると新しい人が入りにくくなるのと、続けていきたいので「楽しんでやろうね」という方向にしています。」

 

自閉症の啓発で人形劇作り

雨宮さん:「依頼が来ると出かけています。チームで考えています。「真面目にやっても面白くないよね。」ということで必ずお笑いを入れて、歌や踊りも入れています。

人形劇は「子どもの前ではやらないで」といわれています。子どもの中に当事者がいる場合、後でいじめられたりする可能性もありますので、周りの大人向けにしています。」

 

福祉ショップの運営

雨宮さん:「西部福祉会館がオープンした10年前から、カフェをオープンしています。平塚市障がい者団体連合会からの運営団体募集に「やまびこ会」が応募しました。養護学校が定員満杯の時代で卒業後に行く所がなくて将来仕事につけないのではないかという心配があって、ここのカフェで働く練習にもなるしということで始めました。初期は週4回オープンしていました。現在は週に3回です。夏休みなどに手伝ったりしています。子どもたちだけでなく我々の居場所にもなっています。」

 

雨宮さんと音楽との出会い

雨宮さん:「小学生低学年のころ、お掃除の時間に流れたのが、とても綺麗な曲で忘れられません。親戚からオルガンを貰ったのをきっかけに好きになり上達も早くピアノへと進むようになりました。人間は、原始時代から本能的に歌と踊りというのは好きだと思うんです。大学の卒業旅行でインドネシアに行った時に道端で現地の人が木琴を演奏していて、「ちょっと貸して」って借りて弾いたんです。そしたら現地の人が「凄い凄い」って言ってくれて、音楽に国境はないなと思いました。現在もピアノは歌の先生から頼まれると伴奏します。美しい歌声を聴くと心が洗われるような気がします。」

ピアノ伴奏をする雨宮さん(左)

平塚に想うこと

雨宮さん:「平塚には2つの養護学校、盲、ろう学校があり、作業所もあります。こんな街はそうはないです。

でも市民の方の意識は薄いし、障がいのある方に対しては特別な視線です。街中で小さいお子さんを乱暴な言葉で叱っているお母さんを見かけると、悲しくなりますね。温かい目で見守ってほしいと思います。」

今後の夢

雨宮さん:「「やまびこ会」に入会者が増えて、仲良く続けていけたらと思います。「辞めたい」と思ったことはありません。辞めたらそこで終わってしまうから。辛かったら、「その現状を変えればいい」という気持ちです。

悩んでも解決しないことは悩まない主義です。」

 

 

ライターの独り言

 今回の取材でも感じましたが雨宮さんの前向きで積極的なマインドが印象的でした。2020年から神奈川県自閉症協会(KAS)の会長に就任している雨宮さんですが、ホームページに会長就任の挨拶が掲載されています。

そこでも雨宮さんの人柄の一端を感じとれると思います。ご覧ください。

 ありがとうございました。

 

文責:清水浩三

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