「幸せじゃんけん」おじさん、大門三郎 オンステージ

絶対、絶対 いいことあります。感謝、感謝 生きてるだけで幸せじゃん。

 

小話その1  

ライター「今日は、よろしくお願いします。」

大門さん「こちらこそお願いします。」

ライター「大門さんはメディアでは有名人ですし、いろいろなところでお話されていて弁が立ちますよね」

大門さん「そうなのよ、今朝もしっかり便が立ってまして流すのに大変でしたよ。」

 

小話その2

ライター「1月7日のチャリティーコンサートに行きました。」

大門さん「そうだよね、その時に会ってるでしょう?」

ライター「握手しましたね。」

大門さん「私はね、一度会った人は覚えるのよ。でも次にお会いするときまで忘れてる」

 

小話その3

ライター「甘いものでもつまんでいただいて、エネルギーを補給してお話くださいね」

大門さん「でも…、私は今(ここのつにょう)なのよ。」

ライター「ここのつにょう?」

大門さん「とうにょう(糖尿)の手前」

 

こんな調子で、ゴールまでたどりつけるのでしょうか? スタートです。

取材中の様子(右:大門三郎さん、左:清水ライター)

 

大門三郎さんの楽曲のジャンルは? 

大門三郎さんの歌のジャンルは何かな?と不思議に思いました。演歌、民謡、フォークソング、コミックソング。私はブルース、ソウルミュージックなのかと思いました。

魂のつぶやきそのものです。歌詞も七五調でわかりやすく共感しやすい。「幸せじゃん」の歌詞を読むと、きっと過去に何かあったに違いないと思えて聴いてみました。

「幸せじゃん」誕生秘話 

大門さん「「幸せじゃん」という曲は作らされた曲なのよ。」

ライター「え?作らされたんですか?」

大門さん「実は「幸せじゃん」の前、13年前に「団塊自慢」という曲をだしたのよ。これが自分でいうのもなんだけど素晴らしくいい歌なんだ。

♪俺たち昭和の団塊育ち 夢見てふるさと後にして 強い男もやさしい女(ひと)も 働くことが幸せだった 早出残業当たり前 世界の日本にしてやった 自慢話をしようじゃないか♪

それで「レコード会社にラジオでもいいからNHKに出演させて欲しい、お願いします。」といって、2年間頼み続けたんだけれど、とうとう出してくれなかったのよ。「もうだめだ」とガッカリして家に帰ってきてうたた寝していたわけよ。そうしたら、天井から金色の粉がザーと降ってきたのよ。

“何これ?何これ?”どんどん降ってきて積もって、「うわー。こんなに、こんなに、素晴らしい!」って叫んでいたら「幸せじゃん」の歌詞の「♪もしも私が生まれなかったら♪ 大地も花も山も川も・・・♪」と次々と詞が出てきて、“何これ?何これ?”「♪生まれたことが、こんなに、こんなに、素晴らしい~!」って大声で叫んでいるの。2番までの歌詞がすらすらでてきて自分で叫んでる。

何度も何度も「こんなに素晴らしい~!」って大きな声で叫んでいるものだから、隣の部屋の女房が「うるさいわね。今何時だと思っているの?夜中の1時よ。夫婦喧嘩だと思われるから静かにしてよ!」と怒られて「ハッ」と目を開けて、そのまま事務所に移って、5番までの歌詞がすらすら。そしてできたのが「幸せじゃん」という曲なのよ。」

 

クリスマスイブの夜の話に涙

大門さん「私は一度、命を絶とうと思ったことがあったの。上の娘が小学校4年生の時のクリスマスイブの日。もう生活が苦しくて、お金もないし疲れちゃって。女房に「もう疲れた。一緒に死んでくれるか?」と聴いたら女房が「私も疲れたわ。あんたが死ぬなら私も死んでもいいよ」といってくれたんだ。

それで上の娘にも「お前たちも一緒に死んでくれるか?」と聴いたら、「何、勝手なこと言ってんのよ。私たち産んどいてさ。私はいいとして妹はまだ幼稚園にもいってないのよ。何、考えてんのよ。」とえらくお叱りを受けて、「どうするか?」「もう一度、死ぬ気になってがんばりましょう。」と女房も言ってくれて、「そうだな…」と踏みとどまったんだ。

こたつの上に、種子島から贈られてきたさつまいもや白菜などの野菜があったので「これでも食べよう。」と言ったら、下の娘が「今日はクリスマスなのにケーキやお肉はないの?」と駄々をこねはじめたのよ。だから娘たちに「今日はイブで前夜祭だろう。見てごらん、これも全部野菜だから全野菜なんだよ。」って。

ライターの独り言 ~何でこんなこと言うのかな。これまでの感動の話で盛り上がったのになあ~。

でも、下の娘は納得しなくて、「ケーキ、ケーキが欲しい。」って言い続けるし。そこへ、外から「お~い、居るか?」って大きな声で呼ぶ声が聞こえてきたのよ。誰かと思ったら中原の「和幸」の松田眞治社長がケーキをもってきてくれたの。恥ずかしいから「おい、こたつの上の野菜を隠せ」と、こたつの下にみんなで隠したのよ。松田さんは家に入ってきてこたつの上にケーキを広げたら、下の娘の喜びようは「やった~、ケーキだ。ケーキだ。」

そして社長がこたつの中に足を入れたら野菜にあたって「何だ、これ?」出したら食べかけの野菜で、それを見て松田さんが「大門も大変だな…」と。それからいろいろな人に声をかけてくれて「大門三郎を育てる会」というのをつくってくれたのよ。」

いろいろな人に支えられてここまできたわけですね。そんな話をする大門さんの瞳にキラリと光る汗をみました

お世話になった人たちも故人になられ、今年の30回目でチャリティーコンサートもファイナルにするそうです。

 

幸せじゃんけんおじさん

 

大門さんと言えば、駅の階段下での朝の挨拶は有名です。今年で10年目を迎えるそうです。10年といえばその間には東日本大震災も起こったりして、さぞ行きかう人たちの表情も歩き方も変化がみられたと思いますが…?

 

大門さん「震災直後でもいつもと違った感じは受けなかったですね。通勤通学で行き交う人たちは同じ時間に通る人たちがほとんどなので良く声をかけてもらって、私は「愛」を沢山いただきました。そして人が変わっていくのがわかります。「ご不満もありましょうが、今日も良いことありますように。無理せず頑張れますように。」そう言ってあげるんです。

そうしたある日、「ありがとうございます。おかげで3年間元気に務めることができ、本社に戻ることができました。」なんて言ってくる方もいます。

いつも私の前にきて「イエ~い」っていって親指を立てていく子どもがいるわけ。私も同じように「イエ~い」ってポーズして答えると、次の日は「ピース」ってチョキをだして、私は「バイバイ」と手を広げて答えたら 私のことを「幸せじゃんけんおじさん」と呼んでくれたのよ。その子も高校を卒業して「無事、高校卒業できました。」と報告しにきてくれて、嬉しかった。女子高生も手を振ってくれるんだけど、彼氏ができて彼と一緒だと見向きもしないね。でも「あの子にも彼氏ができたんだな。」と思うと嬉しいね。」

平塚への想い

昭和43年にふるさと種子島を出て、5年くらい大阪などを転々とした後に姉を訪ねて昭和48年に平塚へきて以来、45年住んでいる大門さんに平塚という街について感じることを伺いました。

大門さん「とってもすばらしい街です。温暖な気候。人情味がある。日本人的な感覚の人が多い街。ただ、他の街が栄えていっても「何故自分の街は栄えないんだろう?」と考えない街。ハングリー精神に欠ける人が多い街、のような気がする。自分の推測ですけど。」

ライター「それは、満たされているからですかね?」

大門さん「満たされているというより、昭和40年前後は、平塚駅前に百貨店が軒を連ねていましたね。厚木、伊勢原、大磯、茅ヶ崎などから買い物にきていた。平塚がとても賑わって潤っていたと思うよ。その時の頂点の味を知ってしまったので、その後近隣の街がどんどん新しいものを取り入れて栄えていくのに「平塚は大丈夫」という気持ちがあったんじゃないかな。

人は一度、頂点を味わうと他の人が先に行ってもまた追い抜いてやろうという気持ちはなかなか起きないからね。平塚の街は平塚市民に合った品物を置こうとしている感じがするが、平塚市民は割とほかの街へ買い物に行っているよね。新しいものがあるから。どんどん他の街にお金が落ちている。平塚にお金を落とさないとね。」

 

平塚の隅々まで知っている大門さんならではの感想でした。とても勉強になります。

 

種子島への夢

大門さん「近い将来、ふるさと種子島に戻って「ハッピーヒルズ」という施設を創って、そこで現在も行っている氣幸術」で身体にいろいろな痛みがある方を改善して帰してあげる活動をしたいと思っています。少しずつ具体化しつつ動いている状況です。」

大門氣幸術院 氣幸施術に関するお問合せは→ケイタイ090-8891-5212 

 

若者へのメッセージ

大門さん「あきらめないこと。生きているだけで幸せじゃん。その気持ちを忘れないでほしい。絶対、絶対に良いことがあるから。」

 

最後になぞかけ

「整いました。大門三郎とかけまして、熟れたバナナと解きます。」

その心は

「黄色い服の中身は、円熟しています。」

大門さん、幸せもらいました。本当に生きているだけで幸せですよね。

ありがとうございました。

 

湘南NPOサポートセンター ライター 清水 浩三  2018/02/04