自分の貴重な時間を人のために捧げる。捧げてくれた時間を意義あるものにさせる努力。

今回は日野原記念ピースハウス病院にて、ボランティア活動をされている袴田明典さんにボランティアについてお話を伺いました。

実は、「水交社の保存と利用を進める会」の皆さんにお話を伺った時、そこに同席くださった袴田さんのボランティア精神があまりに素晴らしく、お話を聞かずにはいられなくなったのです。どうして袴田さんがボランティアをすることになったのか、是非その理由を確かめたくて取材をお願いしました。

袴田 明典 さん

 

日野原記念ピースハウス病院誕生の話

ホスピスは病院施設の中にあるのが普通でしたが、日野原重明先生は「終末期を迎える患者さんにとって最後はゆったり、のんびりした安らぐ場所で過ごさせてあげたい。できれば日本の心のふるさとの富士山が見える場所がいいね」」と病院から独立したどこか良い場所はないかと探していました。先生もゴルフが好きでちょうど大磯町、中井町、平塚市の境にある平塚富士見カントリークラブのオーナーと話をした時に、「それならこのゴルフ場からも富士山はよく見えるしこの土地の一部を使ってください」とのお話があり、ゴルフ場の隣の現在の場所に日野原記念ピースハウス病院が誕生しました。

日野原記念ピースハウス病院

 

ボランティアが重要な位置付けのホスピス

ホスピスの歴史の中でも、ボランティアの役割が運営していくうえで大きな位置付けとなっており、ピースハウス病院も80名ほどのボランティアが活動しています。袴田さんはボランティアを束ねる「ボランティアの会」の会長も務められ、ボランティアをする側、受け入れる側両方を経験されました。

袴田さんのお話

気負いといいますか、「自分は病院や患者さんのために頑張ろう」という強い気持ちが先行すると 自分の想いと現実の違いに悩まされ長続きしないように思えます。気負わず、少しでも役に立てばという気楽な気持ちでボランティアに入っていくことが大切だと思います。

 

袴田さんのボランティアの始まり

袴田さんのお話

30年くらい前、まだ子どもが小さいころ横浜に住んでいました。周りの親たちは子どもを少しでも良い学校に入れようと塾通いなど教育に積極的でしたが、それに疑問を感じて「もっと、自然の中で育てたい」と大磯に移りました。

そして暮らしはじめたときに夫婦で「私たちは、子どもも健康に育っているし住む家もある。充分幸せだよね。だったら他の人の役に立てることをしない?」

奥様のほうから提案がありました。ボランティア探しが始まりました。

ある日、神奈川県の広報の「里親募集」の記事が目に留まり問い合わせてみました。結果、大磯のサンダースホームから3歳の女の子を里親として育てることを決めました。それが初めてのボランティアでした。

 

ボランティアの始まりが里親とは驚きました。またご近所が親切に子どもと関わってくれたことは、私は袴田さんご夫婦のお人柄だと感じます。預かった娘さんももうご結婚されているそうで、きっとご夫婦の生きざま、背中を見て育ったからだと感じました。大人は若者に、親は子に模範となる背中を見せなければならないと思いますね。

 

大事なものが見つかると、会社のストレスが大したことないように思えてくる

袴田さんのお話

養子ではなく里親ですから、姓の違う家族が同居していることで奇妙に思われる方もいましたが、ご近所の方も親切に接してくれて嬉しかったですね。何よりも会社の仕事以外で自分の人生において新たな大事なものが見つかり、仕事上の悩みなどがとても小さなものに見えて、気にならなくなりました。

 

ボランティアを支えるのもボランティア

袴田さんのお話

妻が先にピースハウス病院のボランティアに入りました。しかし病院までは交通の便が悪く、妻が月曜の活動のため、私が会社の仕事を調整し勤務を休んで送り迎えをするようになりました。その時に「妻がボランティアにいくために送り迎えしている自分もボランティアなんだ」と思いました。

 

ボランティアというと「凄いこと」と思いがちですが生活の中でも、お母さんのお手伝いや、居ない時に代わりに掃除、洗濯などをしてあげることも立派なボランティアなんですよね。

 

ピースハウス病院が休院の危機に遭遇

袴田さんも定年を迎えたのを機会に、ピースハウス病院でのボランティアに入りました。そして80名のボランティアの人たちを束ねる「ボランティアの会」の会長も務められました。大きな出来事として3年前に事情があり病院が休院してしまう状況に遭遇しました。

袴田さんのお話

病院が休院してしまうわけですから、ボランティアも必要なくなったわけです。しかし、病室など建物の中や外の庭などは荒れ放題になってしまいます。再開が決まってから手入れをしても時間を要します。その時に、ボランティアの一部の人がいつでも再開できるようにと、今まで通りに活動を続け病室や庭の手入れを始めたのです。

その方たちの中には連れ合いをこのピースハウスで看取った方もおり「最後を看取った病院が無くならないように」という思いもあり、他のボランィアの人たちと一緒に活動して、その後いろいろな支援があり一年後に再開することができました。今でも病院の関係者はボランティアの方たちによって無事再開できたと感謝しています。

 

ボランティアは自分の貴重な時間を捧げる行為。

その時間を無にすることのないような受け入れ側の心構え

袴田さんのお話

ボランティアを「暇だから、時間があるから」といってやってくる人は長く続かないですね。日野原先生の教えでもあるのですが、「ボランティアは自分の貴重な時間を世の中の役にたてようとして捧げることです」とおっしゃいます。だから、「受け入れる側も大事な時間を犠牲にしてきてくれているボランティアの人たちに「本当に人のために役立った」という気持ちになって帰ってもらうように心がけなければいけない」と教えられました。

 

ピースハウス病院ではボランティア用のマニュアルも整備されており、受け入れる側の本気度がうかがわれました。

 

ライターの独り言

大岡裁きの思い出

テレビ時代劇に「大岡越前」という番組がありました。俳優 加藤剛さん主演のドラマですが、その中の一話を思い出しました。

長屋に住む夫婦で、亭主は大工。この亭主、腕はいいのだがある病気を持っています。その病気とは世話好きのお節介やきという病気で、長屋で産気づいたおかみさんがいると訊けば仕事そっちのけで産婆さんを連れに行くは、お湯を沸かすはの世話をやきます。仕事は休むので稼ぎは少ない。たまにではなく頻繁にとくればお決まりの店賃の滞納で大家さんとひと悶着になります。大家さんも堪忍袋の緒が切れて大騒ぎ。お奉行様の手を煩わせることになるわけです。そこは“天下のお奉行様”見事な大岡裁きで一見落着となるのですが最後にこの亭主のかみさんがお奉行様に

「お奉行様、お願いです。うちの亭主のこの病気を何とかしてくれませんか?」と訴えます。

そこでお奉行様が

「お金や暇があるやつがする世話やお節介なら誰でもできる。その日の暮らしもおぼつかない人達が自分を犠牲にして人のために尽くすことは容易にできることではない。そこは分かってやるように」と言います。

袴田さんのお話を聴いて思い出しました。

ボランティアの神髄をお聴きした気がします。ありがとうございました。

 

ライター:清水浩三(湘南NPOサポートセンター)