神奈川の水のお話し

昨年末に中国武漢で発生した新型コロナウイルスが、これほどの猛威をふるうとは予想できませんでした。

今頃は、オリンピックでお祭り騒ぎのはずでした。それが、イベントは軒並み中止、延期、自粛となり学校も休校、商店街は休業。公共施設は休館。街はゴーストタウンとなりました。

連日、メディアの一面はコロナ感染のニュースであり、今も続いています。一日の感染者数や死亡者数が日本だけでなく、世界各国の数字までもが報じられています。

日本は、世界各国から比べると比較的感染者数も死亡者数も少ないです。何故?

日本の感染者数が少ないのは、要因はいくつもあるでしょうが、公衆衛生インフラの整備の充実と手洗い、マスクなど清潔保持の文化が定着しているからだと思います。

公衆衛生の源は水です。公衆衛生だけでなく人が生きるために欠かせない水についてをレポートします。

自分の住んでいる神奈川県の水について知ろうと、神奈川県水道記念館へ見学に行きました。

 

水道記念館 手前は憩いの森広場

水道記念館とは

神奈川県高座郡寒川町にあり、昭和8年に日本で最初の広域水道・寒川第一浄水場の送水ポンプ場が建てられた場所です。その後第二、第三浄水場が建てられたため昭和59年に廃止されました。

しかしながら県営水道発祥の地でもあり、水道記念館として整備されました。

平成15年には、水道のことが学べる体験型展示施設としてリニューアルされて親しまれています。

建物は、歴史的価値が認められ、「日本近代土木遺産」などに選ばれています。

記念館のパンフレットより抜粋

 

とても時代を感じる建物に風情があります。相模一宮の寒川神社の表参道にも近くまわりに緑がいっぱいの場所は、のんびりとくつろげる場所です。広い駐車場があります。きっと学校の屋外授業で見学にくるためのバスの駐車場ではないかと思います。恥ずかしながら私は初めて知りました。

 

水にまつわることわざ、名言

水というのは、恵をもたらすばかりではありません。時には、豪雨で洪水になり被害を与えることもあります。器用でどんな形の器にも入りますし、どんな狭い隙間にでもしみこみます。

昔から水にまつわることわざや名言が沢山ありますね。そこで、いくつか集めてみました。

「君子之交淡若水」 君子の交わりは淡きこと水のごとく

「酔い覚めの水、千両と値が決まり」 私は、何十万両支払ったことか

「水清ければ魚住まず」と言いながらも「水魚の交わり」というのもあり。

「覆水盆に返らず」

「年寄りの冷や水」

「眠った水ほど悪い水はない」などなど。

皆さんの思いつく言葉は何ですか?

 

水の源は海水です。海水が太陽に温められ水蒸気となり上昇して雲になります。その雲が山や地表に大量の雨を降らせます。雨は地中に染みこみながらろ過されて地下水となり地下を通って川に流れ込みます。

途中、田畑や人々の生活を潤しながらやがて海に流れていき、また太陽に温められて雲になるというサイクルを地球誕生から連綿と繰り返しています。

水道記念館の解説用パネルより

水が循環していく中で、人の生活の中では飲み水になり、洗濯やお風呂にも使われ、工場でも使われます。

でも使い終わった泡だらけの水も汚れてはいるけど水は水。どこへいっちゃんでしょうね。

水にもいろいろな水があります。

上水:水道水など、飲用に適した水のこと

中水:水洗トイレの用水や公園の噴水など、飲用に適さないが雑用、工業用などに使用される水のこと

下水:生活排水や産業排水のこと

どの水も使用した後は、網の目のように張り巡らされた水道管で集められ浄水場で微生物により浄化されて川に流されて海に戻されます。これはまさにSDGsです。

 

水を買っていた時代

現在でも水道料金を支払っているので買っているといえますが、明治時代初期までは水売りという商売がありました。河の上流の湧き水を桶に入れて舟で下流の町まで売りにきました。人が担げる桶の量の水が約100文から150文で売れたらしいです。今のお金で約3千円~4千円ですから貴重品ですね。

何で水を買わないといけなかったのか?

水を手に入れるのは、湧水か井戸を掘り地下水を汲み上げた井戸水、雨水、川水です。雨水や川水は疫病の不安があり飲み水にはできません。湧水は町中ではありません。では井戸水ということになりますが、人が集まり賑やかな町は海に近く井戸を掘っても塩分が多くて飲み水にはなりません。そこで、やむなく水を購入して生活せざるを得なかったのです。

 

神奈川の水の歴史

神奈川県が国内で最初に近代水道が引かれた地域です。

1859年(安政6年)に横浜港が開港され人口が急激に増え、大きな町になっていきます。

しかし、横浜は海岸を埋め立てた土地で井戸を掘っても塩辛い水でした。

1873年(明治6年)に多摩川から水を引きました。木製の水道管です。でも水質が悪くコレラ、赤痢などの疫病が発生しました。

1888年(明治20年)に、英国のヘンリーハーマーによる、鉄製の水道管による水道が完成しました。国内初の近代水道が横浜に誕生しました。

1936年(昭和11年)に、相模川下流の寒川地区を水源とする、湘南地方1市9町を給水する県営水道が完成しました。1市とは平塚市のことです。

その後、県内の水道整備が急速に発達し、相模ダム、城山ダム、三保ダム、宮ケ瀬ダムと大規模ダムも建設され、県内の水道普及率は100%に近いレベルまでに達しています。

水道記念館パンフレットより抜粋

 

もっと、歴史をさかのぼると

神奈川県は近代水道が国内最初に惹かれた地域ですが、更にさかのぼると日本最古の水道が引かれた県でもあるのです。江戸時代に神田上水、玉川上水など有名ですが、1500年代の小田原藩で、「早川上水」が成立していました。現在の板橋の早川を水源にした、木製の水道管(木桶)を使用して小田原城下まで引いていました。

炭や砂でろ過して飲料水として利用されました。

上水の利権を争って、板橋村と小田原町の対立する事件があったそうです。それだけ水は生きるためには重要なものだったんですね。

 

扁額から観る先人の想い

水道記念館の建物の玄関入口の上に扁額(へんがく)が飾ってあります。

右から読みます。「永頼其慶」(えいらいきけい)。永く其の慶びを頼む。喜びを忘れずにこの事業を永く頼みつたえてほしい。という希望の意味がこめられています。

 

右から読みます。「連乎水哉」読み方は、「あ、ああ、みずかな」。

かっこいい言葉ではなく心からでた素直な叫びの名言です。事業を成し遂げた慶びと大変な苦労があってのことだというのが伝わってきます。

「水は大切なんだよ。」と言われても、蛇口を開けば水が出てきていつでも、いくらでも飲める。それも安全で安心な水が飲めることに身体も心も慣れっこになってしまって、頭ではわかっても身体が反応しませんよね。そのくらい、当たり前の状態なんですが、世界では一滴の水を得るのに大変な苦労をしている国や地域があります。先人の努力と、ダムの底に沈んだ地域住民の犠牲により当たり前の状態にしてくれたことに感謝し、水のありがたさを認識しなければなりませんね。そして、日本の公衆衛生の高い文化をこれからも維持していきましょう。

 

清水浩三